クリスチャンとエドワールのムエックス・ファミリーをご紹介──ベスト・ワインをめぐる冒険 - GQ JAPAN

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左から:エドワール・ムエックス、エドワールの8歳の長男ピエール・アンリくん、そしてクリスチャン・ムエックス。ピアノの背後にある壁にかかる3枚のポートレートはなんと、1990年にフランシス・ベーコンが描いたクリスチャンの父でベーコンと親交のあったジャン・ピエール・ムエックスの肖像画である。この1枚のフォトにムエックス家4世代が写っている。

スタイルがある

クリスチャン・ムエックスとは20年ぐらい前にはじめて東京で会った。そのときかれはシャトー・ペトリュスの支配人として、六本木に「エノテカ」が所有していたレストランで開かれたペトリュスのワイン・テイスティングのための晩餐会の、ホストのひとりを務めていた。僕はその場に招かれた30、40人の幸運なゲストのひとりで、しかもさらに幸運だったことに、クリスチャンの奥さんのシェリーズと隣り合わせの席に座った。

サン・テミリオンのかつてのシャトー・マグドレーヌのセラーへの入り口は、この建物がJ.P.ムエックス社のものであることをシンボライズする赤い扉をもつ。マグドレースは1952年からムエックスが所有するが、2008年に隣地のシャトー・ベレールがムエックス所有になりベレール・モナンジュとして統合された。

© osamu YAJIMA

チャイニーズ・アメリカンのシェリーズは、アメリカに本社があるアート・ギャラリーの、パリの分店のディレクターだったときに、そこを訪れたお客のクリスチャンと出会った、というエピソードなどもまじえながら、彼らの共通の関心事である現代美術などについて僕たちの話がはずんだことについては詳述しないけれど、飲んでいたワインがロバート・パーカーJr.氏いうところの「ワインというよりも神話」であるボルドーの至宝だったのだから、どんな会話であろうと、自然に盛り上がっただろう、ともいえる。かくて、あっという間にメインコースを待つばかりにまでディナーが進み、別のテーブルにいたクリスチャンがシェリーズを気遣って僕たちのテーブルにやってきた。そうして、僕たちは知り合いになった。

そのときもおもったけれど、クリスチャン・ムエックスはまれにみる「スタイル」のある男だ。なにがって、190cmはあろうかという長身痩躯で、ハンサムで、色を抑えた節度あるコオディネートでみずからを装って、という外見もさることながら、その眼に知性が宿っていることがどうしてわかるのかわからないけれどわかる知性の宿る眼と、出てくる言葉とそのやわらかな口ぶりや物腰が示す教養の高さによって、ああ、この人にはこの人の「スタイル」があるのだな、とわかったのである。その理解は、それと一緒にかれにたいする好意を僕のなかに生んだ。

リブルヌの街中のJ.P.ムエックス社の事務所にもまた赤い扉。この道路の左側にはドルドーニュ川が流れる。

© osamu YAJIMA

緑の収穫

スタイルは、たんに物腰や教養や見た目だけのことではなく生き方全般を通しての、特有の流儀でもある。クリスチャンが「スタイル」の男であるのは、それゆえ、ワインづくりにおいても、固有の流儀がなければならないし、じっさい、それがある。

カリフォルニア大学デイヴィス校でブドウ栽培/醸造学の学位を取得すると1970年、24歳のクリスチャンはボルドーに戻り、父のジャン・ピエール・ムエックス(1913-2003)が1937年に設立したワイン企業、J.P.ムエックス社に入社、シャトー・ペトリュスの支配人に任命される。そして、1973年に、ブドウの品質を上げるために、ボルドーでだれもやったことのない、当時にしてみればリスキーにしか見えない栽培法を、はじめてしまうのであった。ちなみに、この年は、10月に勃発した第4次中東戦争がもたらした「オイル・ショック」のために石油価格が高騰し、世界が大揺れに揺れたのだけれど、クリスチャンによれば、その後の不況のために、翌1974年にはボルドー・ワインの市況が大暴落、ペトリュスでさえ1本2000〜3000円で投げ売りされたほどだったという。ボルドー・ワインの歴史上、19世紀末のフィロキセラ危機や2度の世界大戦、それを挟んだ1930年代の恐慌期に匹敵する苦難の時代であった、といわれるこのときに、ペトリュスの若き支配人のクリスチャンは、「畑の人」としての本領を発揮しはじめる。さて、だれもやらなかった栽培法とはなにか?

J.P.ムエックス社を訪れたのは午前9時半。さっそくテイスティングと相成った。これから市場にリリースされる2018年ヴィンテージの水平試飲で、「オザンナ」「ラ・フルール・ペトリュス」「トロタノワ」「ベレール・モナンジュ」の4本を飲み比べた。「2018年は私のキャリアを通してもベストのヴィンテージといってもいい」とは、クリスチャンの言。ベレール・モナンジュだけがサン・テミリオンであとはすべてポムロール。この4つのヴィンヤードは5km半径の円のなかに収まり、ワインのつくり手が同一なのに、キャラクターはまったく異なる。「テロワールの違いが表現されているのです」と、クリスチャン。

© yj-paris

それは「グリーン・ハーヴェスティング」(green-harvesting)または「クロップシニング」(crop-thinning)といわれる手法であった。一言にしていえば、ブドウの木に成る十数以上の房のうちのいくつかの房を、それがまだ青い(green)段階で刈りとる(harvest)ことである。これは収穫(crop)を、少なく=薄く(thin)することにつながるので、「クロップシニング」ともいわれるわけだ。目的は、一本の木になる房をすべて均一に、よく熟するようにすることにある。それをやる時期は、まだ緑色をした硬いブドウの実が軟化して、その実が赤に変色しはじめた頃合い(ヴェレーゾン=veraisonといわれる段階)、ボルドーでいえば概ね7月あたりで、そのときまだ発育が十分でなく硬いままの緑の房を、クロップするのである。

ポムロールに近接したサン・テミリオン地区の地層を示す断層。トップのグラヴェルの薄い層と下部石灰の層との間に砂のような粘土層がある。「とてもいい、というわけではないがOK」と、クリスチャンは評価する。

© osamu YAJIMA

ブドウの実は、葉の光合成によって生成される糖分によって熟成する。しかし、葉の量にたいして房が多過ぎれば、実に回る糖分が薄くなるのが道理で、1本のブドウの木についた房のすべてがよく熟すことができなければ、葉の量と房の量のバランスがとれている、とはいえない。「グリーン・ハーヴェスティング」(緑の収穫)はこの正しいバランス達成のためにおこなわれる。それを、だれの先例をまねるのでもなく、若きクリスチャンが断行した。しかし、父親をふくめた周囲の風当たりは厳しかったという。いまでは、良質なブドウを得るためにはマストとされている「緑の収穫」は、最初は忌み嫌われ、やがて徐々に黙認され、許容され、ついにはみなが模倣するものとなった。クリスチャンは、この一事をもってして、世界のワイン・メーカーが仰ぎ見るに十分な先駆者の業績を打ち立てた。けれど、それで止まらないのが、この男の流儀=スタイルである。

冬は「プルーニング」(pruning=剪定)の季節である。冬眠中にブドウの木は炭水化物を失わないようにして春の新しい芽吹きに備える。この時期に、古い茎を取り除き、実をならせる若芽だけを残して、木の健康と生産力を高めるためには必須の作業だ。ヨハネ福音書15章2節に「わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多くの実を結ぶために、刈り込みをなさいます」とある。養分を吸い取るだけで実を結ばない枝は「刈り込む」必要があるというのだが、この「刈り込み」がpruneだ。イエスの時代からやっていたのである。クリスチャンの手に注目。

© osamu YAJIMA

青のボタンなど

ポムロールの土地柄、つまりテロワールは、表土に砂礫がほとんどなく、粘土がそのまま露出していることがひとつの特徴である。しかもペトリュスの畑のある海抜40メートルほどの「ポムロールの丘」は、粘土そのものが4000万年前の地層の、独特の青黒い粘土で、それは「青いボタン」としばしばいわれる。その青黒さは還元鉄などもふくむ多様な鉱物成分がそこにふくまれているためで、これがワインに複雑さを与えていることは当然として、この土には水を含んだ時に膨張して内部に水分をよくとどめるというほかにはない性質がある。よいヴィンテージのとき、つまり雨量の少ない年は、表土はカチンカチンに乾いて岩のごとくに固くなるので、ブドウの木の根は下に分け入って水分を吸い上げ、実を凝縮させるけれど、雨にたたられるヴィンテージでこの黒粘土が水分をためすぎると始末に悪い。そういえば、「ペトリュス」という名はもとはといえば石とか岩をさすラテン語で、その表土の硬さからこの丘はペトリュスと名付けられた。で、困ったことに、青いボタンたる「ポムロールの丘」はまったくフラットで、自然まかせではなかなか排水しない。そこでムエックスは、雨の多いヴィンテージのときに、表土にビニール・シートを這わせたり、ブドウについた水滴をヘリコプターで飛ばしたりしたこともあったというぐらい頭を悩ませた結果、深さ6メートルの井戸をヴィンヤードに7基掘り、それらの井戸に向かってわずかな傾斜(2%)をつけて表土がたたえた水が井戸に流れ落ちるようにして問題を解決した。水分が多い年、井戸にたまった水はポンプを稼働させて、地層のシワを通して付近のドルドーニュ川に流すのである。前例にこだわらないオリジナルの発想のもとに行動し、結果として、先駆の道を開く、というかれの「スタイル」が、ここにも見てとれる。

ラ・フルール・ペトリュスのヴィンヤード。このように木の列の間の土壌を深く掘り返して土中の養分を地表に運ぶのはムエックスの流儀である。この深い土壌耕起を年に4度から6度程度おこなうという。

© osamu YAJIMA

そのペトリュスの支配人を、クリスチャンは1970年から2008年までつづけ、2011年をもってペトリュスの仕事から手を引いた。ペトリュスはもともと1歳違いの兄、ジャン・フランソワが父から継いだシャトーだったので、それに不思議はないのだけれど、兄弟ともに跡を継ぐ息子に恵まれ、クリスチャンが去るときがきた、ということだった。そしていま、「スタイルの男」は、新しいチャレンジを43歳になった長男のエドワールとともにはじめている。

クリスチャンの父、ジャン・ピエール・ムエックスが1950年に取得したラ・フルール・ペトリュスの改装したシャトー。19世紀半ばの建築で、いまはテイスティング・ディナーなどの際に利用されるという。

© osamu YAJIMA

エドワールとともに

ポムロール地区には「ラ・フルール・ペトリュス」「プロヴィダンス」「トロタノワ」「オザンナ」などを、アメリカのナパではカルト・ワインの「ドミナス」と「ユリシーズ」を、それぞれ所有するクリスチャンとエドワールが代表するJ.P.ムエックス社のほうのムエックス親子が、いま精力を傾けているのは、2008年に名称を変更してファースト・ヴィンテージをリリースしたサン・テミリオン地区の「ベレール・モナンジュ」である。ムエックスは2008年にサン・テミリオンのシャトー・ベレールを完全に買収し、これを、1952年以来所有していた隣接するシャトー・マグドレーヌと統合して「ベレール・モナンジュ」という新しいレーベルを創造したのである。

シャトー・ベレール・モナンジュの前庭に据えられるのは、レイモン・デュシャン=ヴィヨンの「大きな馬」というブロンズ。鋳造。現代アートの名高いコレクターであるクリスチャン・ムエックスは、これをデュシャン=ヴィヨンの未亡人から40年前に譲り受けたという。デュシャン=ヴィヨンがつくった9作の「大きな馬」はほとんど小さいがこれはごくわずかしかない大きい「大きな馬」だ。制作は1914年。キュビスム特有のマルチプル・アングルだ。

© osamu YAJIMA

ラ・フルール・ペトリュスの看板。アール・ヌーヴォー調。

シャトー・ベレールはシュヴァル・ブランやオーゾンヌに挟まれたサン・テミリオンでもベストの立地に畑を持ち、マグドレーヌも小なりとはいえ、おなじ南東の斜面にヴィンヤードのある知る人ぞ知る存在だった。この2つを統合した「ベレール・モナンジュ」の畑は、サン・テミリオン地区のなかでも、海抜約88メートルともっとも高い丘の上にある。そして、この丘の一段低い斜面にシャトー・オーゾンヌの畑があるといえば、そこがいかに特権的な場所かわかる人にはわかるにちがいない。

訪ねたのは12月初旬だったので、ラ・フルール・ペトリュスではちょうど、発酵を終えたばかりのワインを樽熟成のためにバリックに移していた。

© osamu YAJIMA

このエッヂーな建物は、スイスの建築ユニット、ヘルツォーク&ド・ムーロンが設計した「リフェクトリー」。リフェクトリーは僧院の食堂のことで、ラ・フルール・ペトリュスのテイスティング・イベントなどに使用されているという。

© osamu YAJIMA

偉大な父をもったエドワールは、2004年から父とともにJ.P.ムエックス社の事業に専心してきたが、いまは家族とともにこのシャトーに住んで支配人兼オウナーとしてワインづくりに精励している。「青いボタンの丘」とはちがって石灰岩が主体のテロワールの「ベレール・モナンジュ」を、父とともに、サン・テミリオン一の偉大なワインにすべく。

ベレール・モナンジュでのランチの一皿目に出た「セップ茸の豆腐風」。フォワグラのようなセップ茸のムースにペリゴールのトリュフが埋め込まれている。美味。

© osamu YAJIMA

狩猟を描いたプランストンの絵画がかかるラ・フルール・ペトリュスのシャトーの一室。

© osamu YAJIMA

そしてクリスチャンに似て長身痩躯のエドワールは3歳からクリスチャンと祖父のジャン・ピエールに仕込まれたというワイン舌をもって、新時代のムエックス・スタイルをつちかっていくと僕はなぜだか自信を持って予言できる。けれど、そのストーリーについては、いつか稿を改めたいとおもう。

シャトー内のダイニング・ルーム。

© osamu YAJIMA

J.P.ムエックス社でテイスティングした2018年の4本。左から:シャトー・ベレール・モナンジュ、シャトー・トロタノワ、ラ・フルール・ペトリュス、そしてシャトー・オザンナ。ベレール・モナンジュだけがサン・テミリオンであとはポムロールのワインだ。このなかでの注目はベレール・モナンジュ。ポムロールよりもタンニンがやわらかく、かつフレッシュ。感銘を受けた。

Words 鈴木正文 Masafumi Suzuki / Photos 矢嶋 修 Osamu Yajima

(協力・エノテカ株式会社)

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