「こいつは売れる」と騙す人間にも会った。“完売画家”中島健太のアート界の改革 - フジテレビュー!!
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「アートだけで食べていくのは難しい」と言われる中、中島健太はこれまで500点以上の作品を発表し、その全てが売約となった「超」がつく売れっ子画家だ。
学生時代にプロデビューし、繊細で洗練された高い技術と人間味溢れる温かな作風で、展覧会を開けば即完売。「完売画家」としてテレビなどでも取り上げられ、自らもコメンテーターとして番組に多数出演している。
実績的にも年齢的にも中堅を担う一人になりつつある彼は「アート業界を変えていかないといけない」と語る。
新進気鋭のアーティストの考え方に迫るシリーズ企画「アートに夢中!」。今回は学生時代から現在に至るまでの活動の軌跡、そして中島が目指す「作家にとってフェアな世界」について話を聞いた。

――これまで500点以上の作品が売約となる、いわゆる「完売画家」の一人として活動されています。学生時代からプロとして活動されていますが、美術の世界を志したきっかけから教えて頂けますか?
そうした前置きを頂いた上で話すのも恐縮なのですが(笑)、実は画家になったのは消去法なんです。
僕は自分が苦手なことや嫌いなことに関しては自覚的な方で、例えば満員電車に乗って通勤するのが嫌とか、時間にルーズであるとか、束縛されることが嫌いとか、要するに社会人として生きていく上で必要になる属性を持ち合わせていない。
やりたくないことから逃げ続けた結果、画家という選択肢が浮上したんです。
――それでも小説家やタレントなど選択肢はあったと思いますが、美術大学に進まれた理由は何ですか?
中学時代の美術の先生の存在は大きいですね。自由な方で、とてもマイペースな生き方をされているように見えました。こういう人生もあるのだな、と。
高校の進路選択の時、その先生の姿が頭に浮かんだことがきっかけと言えると思います。
とはいえ、当時はアメフトに夢中で、ようやく受験の準備を始めたのは3年生の秋。当然、浪人生コースとなった(苦笑)。
ただ、その時期に父が大病を患い、経済的な理由もあって「確実に1年で受からないと」と思い、必死で勉強しました。
絵を描くのに必要な材料はバイト代で工面し、とにかく死に物狂いで学びました。

――武蔵野美術大学に入学し、3年生でプロとしてデビューしていますが、そのきっかけは何だったのでしょうか?
初めて応募したコンクールで入選したのですが、それをきっかけにギャラリーからお声がけを頂きました。そこから繋がったグループ展がデビューになります。
初めて発表した作品にも買い手がつき、幸いにして良いスタートが切ることができました。
――初の個展開催は大学卒業の年とのことですが、「完売画家」の記録は当時から続いているのですか?
そうですね、最初の個展でも幸運なことに作品は完売となりました。
2008年の秋と言えばちょうどリーマンショックの時期。あらゆる業界が不振にあえぐ中、僕の作品は人の手に渡ることができた。本当に幸運なことだと思いますね。

――美術業界で「よく売れる」「完売」というワードは稀ですよね。
本当にその通りで、特に現在の日本の美術業界は相当に厳しいシチュエーションにあると考えています。
でもだからこそ、つまり「こいつは売れる」と認識されると、あちらこちらから色んな人が近づいて来る(笑)。

――中には作家に不利な条件を強いる人々も来る、ということですか?
デビューをした当初から「様々」な人が寄って来たのですが、良い条件を提示してくれる人もいて、最初の個展ではそういう人とタッグを組んだはずでした。
確かに作品は完売したけれど、でもその時は売り上げを持ち逃げされてしまった(苦笑)。
会期中からあまり顔を見せないので変だなとは思っていたんですが、最終的には音信不通になった。すっかり騙されたわけです。
――美術界隈では「作家の立場は弱い」とよく耳にしますが、典型的な悪例ですね。
仰る通りで、それは例えば「取り分」として如実に現れる。
一回の展示で画家がもらえるお金ってものすごく少ないんですよ。実際に展覧会のコアになる作品を制作しているのは作家であるにもかかわらず、売上がフェアに分配されるケースは少ない。
だからこそ駆け出しの僕は良い条件に飛びついてしまったわけですが(笑)、でもそうした経験もあるのか、この業界でサバイブしていく方法については自ずと鼻が利くようになりましたね。
僕はスタートから3年やって一本立ちすることができましたが、業界の暗黙のルールを肌で理解できたのは5年ほどしてから。作家活動をするのは、ある種、この業界で生きていくために自分をチューニングしていく作業でもありました。
例えば「絵を販売する場所」で考えるとギャラリーや百貨店など種類はありますけど、日本では特に百貨店の力が強い。
僕は幸いにして20代で作家として自活できましたが、他の若手作家がやっていくには、その百貨店に接続可能なギャラリーと繋がれるかどうかが、おそらく非常にウェイトの大きいポイントになる。
日本という国で作家として成功するには業界の構造と動きを把握し、理解する必要も出てくるでしょうね。

――「完売画家」の肩書は、単純に作品が売れるだけで形成されるわけではないんですね。業界を把握すればするほど出てくる課題や問題意識はありますか?
その話でいくと、一つには作家が軽んじられる点がありますよね。
僕はいわゆる写実系の作家ですけど、ピークの時には年間で80点くらい描いていた。寝ている時以外の時間の全ては制作に注ぎ込んだ。それは一重に僕が体育会系的に尋常じゃない仕事量をこなすことができたからです。
だけど、それは到底一般化できるやり方じゃないし、そんなことをしたら作家は摩耗してしまう。実際、僕も30代を前にして「無理だな」と思った。「いずれ潰れてしまうな」と。
だけど、いくら作家がすり減り、衰弱していこうとも、業者サイドにそれをカバーする仕組みはない。つまり全体として全然サスティナブルじゃないんですよ、この業界は。だから、作家は自分の身は自分で守っていかないといけない。
――自分の身を守るためにと、あまりに独自化し過ぎると、それはそれで立ち回りが困難な世界ですよね?
その通り(苦笑)。いわゆる村社会なんです、ここは。
僕がメディアに出始めたり、ネットショップを開設し始めたりした時、作家からも業者からも言われたのは「中島くん、大丈夫?」だった。「あいつ大丈夫なのかな」って。
そういう圧力って実際にあるというか、少なくとも僕はずっと肌で感じて来た。出る杭は打たれるし、だからこそ誰もが周囲の顔色を伺いながら生きている。「村のルールを犯さないように」と。

――そうした美術業界の状況が変わらなかった理由は何だと思いますか?
誰も変えようとしなかった点は大きいでしょうね。変えようと思った人はいたかもしれない、でも行動を起こしてやり切った人はいなかった。
業者はもちろんだし、それから力を持った作家もそう。発言権のある作家が何もしてこなかった影響も少なくないと思います。
そこそこの中堅以上の作家になれば付き合いがあるし、付き合いが深くなればなるほど、それはこの業界の共犯者的な関係性に進んでいく。みんなこの「村」から追い出されるのが怖いんですよ。
でも、一方で作家を目指す人がいます。「つくりたい、描きたい」と思って入ってくる若い子たちがいるんです。
中には優れた人もいるし、だけど優れた作家は使い捨てられて消えていく。失われた人材ってけっこういると思いますよ。
なぜなら、良い作家が育つエコシステムがないから。作家が消耗していくシステムが回っている限り、優秀な人々は他の業界へ行ってしまいます。
僕みたいな体育会系しか成功できない世界じゃダメなんです。スポーツ選手と違い、作家は丁寧に育てれば一生ものですが、その丁寧な育て方というノウハウが欠如している。

――作家の立場からそれを変えるヒントのようなものはありますか?
海外に目を向けると、付加価値の点は大きい。作品や作家のストーリーを丁寧に演出し、瞬間的に消費するのではなく、長いスパンで作家を捉えている。
僕もその点は取り組んでいきたいし、そうすることで日本の美術業界を拡張するくらいに力を持った作家にならなきゃいけないと思っています。
――中島さんは作家活動の他にテレビでコメンテーターの活動もされていますが、幅広い活動もその一環なのでしょうか?
一般の方々にとって「美術業界」は、近い世界でも親しみを覚えやすい世界でもないと思いますし、その認識は変えていきたいです。
美術は非常にクローズドな世界だし、新規参入も少なければ新陳代謝も少ない。
この業界のベースはバブル時代に形成されたところが大きいのですが、それは昔の話です。時代とともに変わっていくことが自然だし、そうでないからこその弊害がたくさんある。

――「中島健太」という作家の活動は、業界を変えていく意志が大きなモチベーションになっているんですね。
僕は「美術」という世界で生きていくために自分をチューニングしました。
美術業界という水に馴染めたし、幸いにしてある程度の成功をおさめることができた。けれど、水の方が濁ってしまった。だからこの業界の水を循環させたいし、変えていきたいですね。
市場感で言えば先細っていくばかりで20年先には焼け野原になっているんじゃないかと心配になる。それを受け入れるか、行動を起こすかの違いだと思うんです。
市場という大きな枠もそうだし、作家の地位もそうですけど、全体的な意味でこの業界を変えていかないと先はないし、先のないところに人は来ない。
――学生時代からキャリアをスタートさせ、20代で完売画家となり、今後は業界をリードするポジションにもなると思います。今後のプランを聞かせていただけますか?
若手の育成や一般の方への美術の普及などやるべきことはたくさんあります。それから僕自身の発言がより響くよう、もっと作家としての足腰の強さも必要です。
そのためには、世界に自分の価値を問うことが必要だと思っています。
今回のコロナ禍によって国境の壁は以前とは比べものにならないほど高くなりました。そんな中で、国境に関係なく作品の売買ができる「越境EC」は、アーティストが世界で挑むプラットフォームとして今後間違いなく主戦場になると確信しています。
このタイミングで越境ECを手掛けるベンチャー企業のTRiCERAと出会ったのはある種の運命を僕に感じさせますね。
新しいチャレンジに今から心が躍りますが、とは言え、そうは言っても僕はもう30代だし、チャレンジするためには体づくりが必要な年齢にもなってきた。
僕が潰れるか、業界が変わるか、どちらが先か分かりませんけれど、丁寧にやるべきことをやりさえすれば希望はあると思っています。

中島健太(なかじまけんた)
1984年東京都出身。大学で油絵を学ぶ傍ら、3年次にプロデビュー。「500点以上が完売」となっている中島の絵画は、発表作品の全てが売約となるのみならず、その繊細な技術から日本最大の美術団体である「日展」でも特選を2度受賞した。「如何にアートを身近のものとして感じてもらうか」をコンセプトに、作品制作だけでなくTVコメンテーターなど多岐に渡る活動を手がかりに、アートと日常生活の解離への反抗とその調和を目指す。
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July 03, 2020 at 03:44PM
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